東京高等裁判所 昭和47年(う)2062号 判決 1974年6月11日
控訴人 双方
被告人 金岡安広こと金嬉老こと権禧老
弁護人 戒能通孝 外六名
検察官 鈴木信男
主文
原判決を破棄する。
被告人を無期懲役に処する。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人戒能通孝、同山根二郎、同近藤俊昭、同広田尚久、同後藤孝典、同長塚安幸、同西山正雄共同名義の控訴趣意書、原審検察官古谷菊次名義の控訴趣意書にそれぞれ記載してあるとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は右弁護人ら共同名義の答弁書、右弁護人らの控訴趣意に対する答弁は検察官鈴木信男名義の答弁書に各記載のとおりであるから、いずれもこれらを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断する。
第一、弁護人らの控訴趣意について
以下おおむね所論の順序に従つて、当裁判所の判断を示すこととする。
一、弁護人らの控訴趣意第一部総論中、日本国裁判所は被告人を裁く資格がないとの主張について
所論の要旨は、日本と朝鮮との歴史的事実に徴し、日本の国家と社会は強制的に在日朝鮮人を形成しながら、これに民族的差別と迫害を加えてきたものであつて、在日朝鮮人である被告人をして本件一連の行為に走らせたのは、かかる積年の加害行為をした日本自身にほかならず、その意味において日本国は本件において当事者であり、従つて日本国裁判所には被告人を裁く資格はないと主張するのである。
しかし、刑事裁判権は日本人であると外国人であるとを問わず、日本国内にいる総てのものに及び、刑罰法令が何人を問わず日本国内において罪を犯した者に適用されるべきことは今更多言を要しないところ、被告人が刑事手続のうえで身分上裁判権行使の制約を受ける者ではなく、本件各事案が国内犯であることはいずれも明らかであるから、日本国裁判所が在日朝鮮人である被告人を法律に従つて裁くことは当然であるといわなければならない。日本人と朝鮮人が対等の立場において差別なく生活すべきことはもとよりいうまでもないところであるが、日本国内において犯罪行為に出でた者がある場合には、人種の差別なく、これを適正に裁判することは法治国家における裁判所の権利であり責務であつて、このことは所論のいう日本と朝鮮との関係如何とはなんらかかわりのない問題であり、在日朝鮮人に対し特別の取扱いが要請されるわけのものではない。また裁判所は公訴が提起された具体的な被告事件について審理するものであつて、犯罪を起こすに至つた動機、犯行の経緯、被告人の境遇等は量刑に当り十分考慮すべきであることは勿論であるが、所論のいう日本と朝鮮との歴史的事実や民族問題そのものを審理し裁くものではない。これを要するに、日本国裁判所が在日朝鮮人である被告人の本件各所為に対し刑事裁判権を行使し得ることは明白である。論旨は理由がない。
二、同第二部各論第一章第一節中、事実誤認の主張について
所論は要するに、原判決の動機部分の認定のうち、小泉勇刑事の侮辱発言に関する事実誤認の主張として、原判決は、(一)、被告人に決定的な影響を与えた小泉刑事の「てめいら朝鮮人は日本にきてロクなことをしない。」との侮辱発言を認定しなかつたこと、(二)、被告人が小泉刑事と電話で激しくやり合つた際に、被告人に決定的な打撃を与えた同刑事の嘲笑的言辞の内容と意味を具体的に認定しなかつたこと、(三)、このような小泉刑事の犯罪的行為によつて本件は引き起こされたものであるから、その責任の所在を明らかにすべきであるのに、これをなさなかつたこと、以上のことは重大な事実誤認であると、かように主張するのである。
記録を精査するに、原判決の挙示する関係証拠によれば、所論(一)のとおりの侮辱発言がなされたことが窺われるのであるが、かかる犯行の動機にわたる部分につき、いちいち精細に説示しなくても、要はその趣旨が明らかであれば足りるものと解されるところ、原判決は小泉刑事の発言に関し、同刑事が「おめえらみたいな朝鮮人は早く国へ帰れ。」などと朝鮮人を侮辱する発言をなした旨判示(原判決五頁)して、所論の前記発言をも含めて侮辱発言の趣旨を明らかに説示していることが認められるから、原判決には所論(一)の事実誤認はない。また関係証拠によれば、大略所論(二)に添う小泉刑事の言辞がなされたことが窺われるのであるが、これについても同様にひとつひとつその言辞の具体的な内容と意味を説示しなくても、その趣旨が自ら判明すれば足りるものと解されるところ、原判決はこの点につき、被告人は小泉刑事に対しさきの侮辱発言に抗議したが、同刑事が謝罪しないばかりか却つて嘲笑的言辞を弄したため激怒し、興奮の余り、同刑事に対し「畳の上じや死ねないようにしてやる。」と言い返すなど、同刑事と電話で激しくやり合つた旨判示(原判決五頁)しており、これによれば所論の嘲笑的言辞が被告人に強い打撃を与えた内容のものであることは明らかに推認され判明するところである。原判決が冗長を避けて、「嘲笑的言辞を弄した。」という圧縮した表現をとつたことはむしろ相当というべきである。原判決には所論(二)の事実誤認はない。更に関係証拠によれば、被告人が小泉刑事の侮辱発言に非常に憎悪を燃やし、また警察に対し怨みをいだいていたことは十分窺われるところであり、さればこそ原判決は小泉刑事の侮辱発言や警察との交渉過程をも判文上必要な限度において十分取り上げているのであつて、本件において所論のように右以上にわたり判示すべき必要があるものとは考えられない。原判決には所論(三)の事実誤認というべきものではない。その外所論に徴し記録を検討しても、小泉勇刑事の侮辱発言に関する原判示の事実認定には、事実誤認は認められない。論旨はいずれも採用できない。
三、同第一章第二節中、事実誤認の主張について
所論は要するに、原判決の曽我幸夫らの被告人に対する手形取立行為に関する事実誤認の主張として、原判決は、(一)岡村孝が稲川組幹部の金融業者曽我幸夫に対し事態の解決を依頼し、また岡村は曽我に手数料一五万円を支払つたと認定しているが、しかし事実は岡村から手形の返還方の依頼を受けた宇田川直二が独自の判断で曽我に解決を依頼したものであり、また岡村は一五万円を宇田川に託して曽我に届けさせたものであること、(二)、原判示は岡村孝の被告人に対する債権の存在を前提としているような印象を与えているところ、事実は右債権は存在しないものであること、(三)、曽我幸夫らの被告人に対する手形の取立方法に関する事実認定は極めて抽象的であつて、具体的にその悪性を認めていないこと、以上のような事実誤認があると主張するのである。
記録を精査するに、原判決の挙げる関係証拠によれば、所論(一)のとおりの事実が窺われるのであるが、原判決は、岡村孝は友人の宇田川直二を通じて稲川組幹部の金融業曽我幸夫に対し事態の解決を依頼し、同人に要求されるままに手数料一五万円を支払つた旨認定している(原判決七頁)のであつて、その結論においては彼此異なるところはない。即ち、岡村孝が宇田川直二を介して曽我幸夫に事態の解決を依頼した点においては、宇田川直二の独自の判断が加わつたとしても、なんら変りはなく、また一五万円が曽我幸夫に支払われた点においては、右金員を宇田川に託して届けさせても、なんら変りはないところである。所論(一)のような事実誤認は、原判決には見当らない。(二)、原判決を正読すれば、原判決は岡村孝の被告人に対する債権の存在を認定してはいないのであり、原審記録を仔細に検討しても、被告人が岡村孝から貸与を受けた金員につき、スカイライン・デラックスで代物弁済したかどうかについては俄かに断定し難いものがあるところ、本件については債権取立行為の方法、態様が問題であつて、かかる債権の存否を強いて判断する必要はないものと考えられる。所論(二)のような事実誤認というべきものは原判決には認められない。(三)、関係証拠によれば、曽我幸夫らの被告人に対する債権取立行為の方法、態様は原判決の説くとおりであり、これによれば右債権取立は通常許される範囲をはるかに逸脱した方法、態様で執拗に強行されたことが認められるのであつて、本件において所論のようにこれ以上具体的に詳しく判示すべき必要があるものとは認められない。所論(三)のような事実誤認と目すべきものは、原判決には窺われない。その他所論に徴し記録を調査しても、曽我幸夫らの債権取立行為に関する原判示の事実認定には、事実誤認があるものとは考えられない。論旨はいずれも採用し得ない。
四、同第二章第一節、第二節中、事実誤認の主張について
所論は、原判示第一の各殺人罪を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな次のような事実誤認があると主張する。即ち、(一)、被告人は大森靖司に対しては殺意は有していないのに、原判決は未必の故意があるとしてこれを認定した、(二)、被告人が曽我幸夫に対して殺意を生じたのはミンクスに赴き曽我から「何をこの野郎、てめえら朝公がちようたれたことをこくな。」という言葉を聞いた時点であるのに、原判決はそれ以前の被告人が内妻簗場房子と国鉄焼津駅付近で別れた時点であると認定したのは、いずれも誤りであると主張する。
記録を精査するに、(一)、原判決の掲記する関係証拠を総合して判断すれば、原判示のとおり被告人が大森靖司に対し未必的殺意を有していたことは優に認定できるところであり、この点に関し、原判決が「大森靖司に対する未必的殺意」と題する個所(原判決四六頁以下。以下原判決の頁数や記録の丁数などについては当該部分の初めのものだけを記載する。)において、被告人が犯行に使用した銃器の性状、被害者大森との射間距離、実弾発射数、創傷の部位程度等に鑑み、被告人の大森に対する未必的殺意が認められる旨説示するところも相当としてこれを首肯することができる。所論の指摘する諸点をも配慮し、記録中のその余の証拠を合わせ考慮しても、原判決の事実誤認に誤りがあるとは考えられない。原判決には所論(一)の事実誤認はない。(二)、関係証拠を総合して判断するに、原判示のとおり、被告人が曽我幸夫に対し殺意を固めたのは、被告人が簗場房子と国鉄焼津駅付近で別れた時点であることを十分に認めることができる。原判決が詳細に判示するとおり、被告人が曽我幸夫に対して憎しみの情を大いに燃やし、「曽我をいつかばらしてやらにやしようがない。」などと不穏の言動を示し、更に胸中泣く思いで房子と国鉄焼津駅付近で別れた後に曽我を呼び出し兇器を準備して射殺するに至つた一連の経過からみても、被告人が房子と別れた時点において曽我殺害の決意を固めたとみるのが相当であり、被告人も原審第五回公判廷において、被告人が房子と焼津駅近くで別れた時に完全に曽我に対して殺意を持つたことを認める旨供述している(二冊三六二丁)ところである。所論のとおり、被告人が曽我への殺意と同人との対決を回避しようとの気持を犯行に出でるまで合わせ有していたとしても、曽我との対決が回避できない場合には同人を殺害しようという決意を有していたことは関係証拠により明らかであるから、前記認定を妨げるものではない。その外所論に徴し記録を調査しても、原判決の事実認定に誤りがあるとは認められず、原判決には所論(二)の事実誤認はない。(なお、検察官は、被告人が昭和四三年二月一七日青森県十和田市の簗場房子の実家をたち静岡方面へ向つた時点において曽我幸夫殺害の意思を有していたと主張する〔検察官の控訴趣意中量刑不当の項三六丁〕が、叙上説示に照らし、右主張はこれを認めるによしがない。)。以上のとおり、弁護人らの論旨はいずれも採用の限りでない。
五、同第三章第一節、第二節、第四章第一節、第三節四の事実認定の違法及び事実誤認等の主張について
所論は、原判示第二の監禁罪を認定した原判決は、刑訴法三七八条三号又は三七九条に該当する違法をおかし、かつ事実誤認があり、更に同法三七八条四号に該当する違法に及んだもので破棄を免れないと主張するので、検討する。
所論はまず、原判決は訴因変更手続がなされないままに、本件監禁の公訴事実に対し、これと日時、行為の方法、態様等において著しく異なつた事実認定をしており、このことは刑訴法二五六条、三一二条に違反し、同法三七八条三号もしくは三七九条に該当して違法であるというのである。
そこで、本件監禁の公訴事実とこれに対応する原判決の認定事実とを対比してみるに、(一)、本件監禁の日時につき、公訴事実は監禁罪成立の時点を昭和四三年二月二〇日午後一一時三〇分ころとし、一三名の者に対する監禁時間はいずれも中断されることなく継続していたとするのに対し、原判決の認定事実は監禁罪成立の時点を同年二月二一日午前三時ころとし、一三名のうち七名の者についてはそれぞれふじみ屋旅館から外出している間は監禁時間から除外しており、(二)、監禁の方法、態様等については、公訴事実は被告人はふじみ屋旅館内の一三名の者に対しライフル銃及びダイナマイト等を示し、「静かにしろ、一人でも逃げると連帯責任だから生命の保証はない、一人逃げれば一人殺す。」などと申し向け、同人らの生命、身体に危害を加えかねまじき気勢を示して脅迫し、同人らをして同旅館より脱出しようとすれば自己又は残留者の生命、身体に対し直ちに危害が及び到底脱出不可能であると畏怖させ、同人らを同旅館に滞留させ、この間継続して被告人の身辺にライフル銃及びダイナマイト等を置いて監視し、右一三名の者が脱出することを不能ならしめて監禁したという趣旨のものであるのに対し、原判決の認定事実は、被告人がふじみ屋旅館にライフル銃を携え編上靴の土足のまま上り込み、宿泊客や同旅館内の家族を起こし、「人を殺してきた。」などといい、同旅館内の一三名の者を同旅館二階の一室に集め、その隣室の一室にバリケードを築かせたりした後にダイナマイト等を運ばせて、ダイナマイトを積みいつでもこれに火を着けて爆発できるようにしたうえ、同人らに対し「警察と話をつけるまで我慢してくれ、おとなしくしていれば危害を加えない。」などといつて、同人らが同旅館を出るなど勝手な行動をすれば、その者または他の残留者に危害を加える旨を暗に告知して脅迫し、同人らをしてその旨畏怖させ、同旅館内に滞留させて監禁したという趣旨のものである。そうすると右(一)の監禁の日時に関し、原判決は監禁罪の成立時点を公訴事実とは若干異なる認定をし、また監禁時間を公訴事実より多少縮少して認定しているが、いずれもさまで大きな差ではなく、つぎに右(二)の監禁の方法、態様等に関し、原判決認定事実と公訴事実との間には、脅迫文言において差異があるとはいえ、いずれもその指向するところは、被告人の言葉に背き勝手な行動をとれば、その者やあるいは残留者に危害を加えるべき旨を告知してふじみ屋旅館に滞留することを強く求める点にあるのであつて、両者は同趣旨の事柄に属するものであつて、その間文言の意味する内容、性質について特段の差異があるものとは考えられないし、また公訴事実に示された被告人の監視行為は原判決の認定には示されていないが、この程度の変化は本件監禁罪としての事実の同一性に消長を及ぼす程のものではないというべく、以上要するに本件起訴状記載の監禁の公訴事実と原判決の判示認定事実との所論の差異の程度は、公訴事実の同一性はもとよりのこと訴因の同一性をも害するものとはいえない。このことは、右公訴事実及び認定事実ともに本件監禁の一三名の被害者ならびに監禁の場所については全く同一であることからしても明らかである。なお、記録を精査するに、原審における審理の経過に徴し、所論の点については被告人、弁護人ともに防禦をつくしているところでもあつて、原審が訴因変更手続をとることなく判示事実を認定したからとて、そのため被告人の防禦権を侵害したとも、また被告人の防禦に実質的な不利益を及ぼしたとも認められない。弁護人ら引用の各裁判例はいずれも事案を異にし本件には適切でない。原審が訴因変更手続を経ないで原判示第二の監禁の事実認定をしたことに所論の違法はなく、従つて原判決が刑訴法三七八条三号もしくは三七九条に該当するいわれはない。論旨は採用するによしがない。
所論はつぎに、原判示第二の監禁罪を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実誤認があり、また理由不備の違法があるというのである。記録を精査するに、原判決の掲げる関係証拠を総合すれば、おおむね原判示第二の監禁の事実を認定することができ、原判決が監禁罪が成立するとして説示している部分(原判決四七頁)についても大要これを相当として是認することができるものというべく、また理由不備の違法があるとも認められない。
所論は要するに、(一)、被告人は監禁の実行行為としての脅迫の言動に出でたことはなく、また被害者らも畏怖心をいだいたことはないのに、これを認めた原判決には事実誤認がある。(二)、被告人には監禁の犯意はなく、被害者らは何時でもふじみ屋旅館から出られる状況にあつたから監禁の状態は継続していなかつたものというべく、これらの点に関する原判決の事実認定には誤認がある。(三)、原判示の被害者らのうち七名の者についての監禁時間は不明であり、不特定であるから理由不備である。(四)、被告人が外出しても監禁行為が存続したと原判決が認定しているのは事実誤認かつ理由不備である。(五)、原判決は望月和幸に対する監禁時間から「同日午後三時頃被告人に命ぜられて大間部落を案内した時間を除く」旨判示しているが、望月和幸は被告人を寸又峡温泉ホテルの非常口まで案内し同所で別れており、被告人は望月より三、四〇分先にふじみ屋旅館に戻つているから、望月がふじみ屋旅館に戻るまでの時間は一定の場所に監禁主体も被監禁者も存在しないか又は監禁主体のみ存在することとなり、理由不備である。(六)、一三名全員を監禁したとする被告人の各個具体的行為は存在しないのに、原判決が監禁罪を認定したのは事実誤認である、と以上のように主張するのである。
そこで、所論(一)の当否について検討する。監禁とは人をしてある時間一定の区域外に出ることを不可能または著しく困難にすることであつて、その監禁の方法は物理的方法に限らず、被害者の心理状態に影響を与えて畏怖させ、通常人ならばあえて脱出を試み得ないような状況におくことも監禁というに妨げないというべきである。関係証拠によれば、被告人が原判示のような脅迫の言動に出でて被害者らがふじみ屋旅館に滞留することを強く求め、そのため被害者らは、被告人の意に反しふじみ屋旅館を出るなど勝手な行動をとれば自己または他の残留者に危害を加えられることを畏れ、やむなく同旅館からの脱出を試みることなくとどまつていたものであることが認められ、被害者らの畏怖心も十分に認められるところである。原判決には所論(一)の事実誤認は見当らない。つぎに所論(二)の当否について検討する。関係証拠によれば、被告人に本件監禁の犯意があることは優に認められるところであり、また所論指摘のとおり、監禁の被害者らがふじみ屋旅館を脱出しようと思えば、あるいは物理的に可能な機会がなかつたではないかも知れないけれども、しかし本件は被告人がふじみ屋旅館の一室にバリケードを築きダイナマイトをいつでも爆発し得るように準備していた等の異常な状況の下において、一三名という多数の者が監禁されていたのであつて、これらの者は一名でも逃げ遅れた場合のことを考え、その際の危難を畏れ、脱出を断念して同旅館に滞留していたことが認められるところであるから、監禁状態は継続していたものというべきである。更に所論の指摘するとおり、被害者らのうち数名の者がふじみ屋旅館から一時外出したことが認められるけれども、しかし右外出区域は同旅館付近あるいは同旅館を中心とする限られた地域にすぎないし、これらの者も程なく同旅館に戻つて来たことも証拠上明らかであるから、その外出が被告人の命令あるいは許可によるものであると、被告人不知の間になされたものであるとを問わず、右数名の者はいずれも外出中も前記畏怖心のもとに心身の自由を規制されていたものとみるべく、従つてその間ふじみ屋旅館を不在にしていても、これを除く前後の監禁状態はいわば非連続の連続として、原判示監禁罪の包括的一罪を構成するに妨げないものというべきである。なお、所論のとおり、新聞記者等がふじみ屋旅館に出入りしていたことが認められるけども、そうであるからといつて、被害者一三名の者がこれと同様に出入りする自由を持ち得るに至つたものではないのであつて、右新聞記者等の出入りとはかかわりなく、本件監禁罪は成立するものというべきである。原判決には所論(二)の事実誤認は認められない。所論(三)の当否について検討する。所論のとおり被害者らのうちの七名の者についてのふじみ屋旅館からの外出時間を除外しても、本件事案に徴し、その前後における各同一被害者に対する監禁行為は一連の行為として包括的一罪を構成すると認めるのが相当であるから、監禁の始期と終期とが特定されており、その間の外出先が判示されている以上、その外出時間が示されていないものがあり(各関係証拠によれば右時間は多くとも二時間を出でないことが認められる。)、また所論のとおり原判示以外に外出したことが若干あるとしても、右の程度をもつてしては、監禁時間が不明であるとも不特定であるともいえず、監禁罪の事実摘示として特段に欠けるところはないものというべきである。原判決には所論(三)の理由不備は見出し難い。所論(四)の当否について検討する。監禁行為の主体である被告人が監禁行為の場所であるふじみ屋旅館から外出したとしても、被告人において被害者らの畏怖心を解消させるに足りる行為をなさないで放置している以上、右の畏怖心によつて行動の自由を奪われていた被害者らにつき監禁状態の継続があつたと認めるのは当然であり、この点に関する原判決の認定には事実誤認はなく、もとより理由不備の違法はない。所論(五)の当否について検討する。原判決が望月和幸に対する監禁時間から「同日午後三時頃被告人に命ぜられて大間部落を案内した時間を除く」旨判示したのは、ふじみ屋旅館外出後単に寸又峡温泉ホテルの非常口まで赴いた時間を除く趣旨ではなく、ふじみ屋旅館を出てから同旅館に戻るまでの時間、即ち被告人に命ぜられて大間部落を案内するためふじみ屋旅館を外出していた全時間を除く趣旨と解せられる。この点に関する所論はすでに前提を欠き理由のないことは明らかである。所論(六)の当否について検討する。被告人が被害者一三名の者に対し脅迫的言動に出でその畏怖心を利用して、同人らを監禁したことは前記したとおりであるから、被害者一人一人についてその具体的状況を詳細に判示する必要はないものというべく、また所論指摘の望月和幸と小宮征市が被告人の知らぬ間に外出したとしても、その状況は原判決の説示するとおりであつて(原判決五八頁)、同人らが任意に自由な行動をとり得る状態におかれていたものとは到底認め難く、このことがあるからといって監禁罪の成立に影響を及ぼすものではない。所論(六)の事実誤認は認め得ない。以上のとおりであつて、原審記録中のその余の証拠及び当審において取り調べた証拠を検討しても、原判決には各所論のいう事実誤認は認められないし、理由不備があるものとは考えられない。論旨はいずれも採用するによしがない。
六、同第三章第三節の事実誤認の主張について
所論は原判示第六のうち、秦次男ら四名に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の罪を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があると主張する。記録を精査するに、原判決の挙示する関係証拠を総合すれば、右原判示どおりの事実を明らかに認めることができる。所論は、原判決は被告人が秦次男ら四名に対しライフル銃を射撃し、ダイナマイトを爆発させて脅迫したと認定するが、被告人のライフル銃発射及びダイナマイト投てき行為と右四名との間に存する所論指摘の場所的、時間的間隔からして、脅迫行為は成立しないと主張する。しかし、被告人が殺傷力の強いライフル銃をもつて威嚇射撃し、破壊力の大きいダイナマイトを投てき爆発せしめて、秦次男ら四名に対し、その生命、身体に危害を加うべき旨を示したことが、人を畏怖させるに足りるものであることはいうまでもないところ、かかる害悪の告知は、被害者に知らしめる手段を施し、それによつて被害者が知つたことで足りるものというべく、所論のように射撃や爆発行為が被害者自体あるいは身辺に向つてなされなければならないものではなく、また所論の場所的、時間的間隔も左程のものではなく、秦次男ら四名において、被告人からライフル銃を発射されダイナマイトを投てき爆発されたことを知り、身の危険を感じて逃走したことも関係証拠により認められるところである。被告人の脅迫行為は成立するに十分であり、その他記録を調査しても以上認定を動かすに足りる証拠はない。原判示第六のうちの暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の罪の事実認定には事実誤認はない。論旨は採るを得ない。
七、同第四章第二節一の事実誤認ないし理由不備の主張について
所論は、原判示第四の一において大村善朝に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の罪を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があり、かつ理由不備の違法があると主張し、その主な理由として、(一)、被告人は大村善朝に対し原判示のような脅迫文言を言つたことはなく、単に「危いから、ここにいないでふじみ屋の皆のところに行つているように。」との旨を言つたにすぎない、(二)、原判決は「ライフル銃を携えたまま示し」と認定しているが、携えたままであるのに、何故示すことになるのかの理由を判示していないし、かつ真相は被告人は単に銃口を下に向けたまま携えただけでこれを脅迫の手段として使用する行為はなかつたものであるというのである。
しかし、右所論(一)の主張に添う原審における被告人の供述(二冊七一七丁)は原審における証人大村善朝の供述(九冊二、七九七丁)に対比して採用し難く、その他右主張を認めるに足りる資料は見当らない。つぎに所論(二)の点について検討する。暴力行為等処罰ニ関スル法律一条にいう「兇器ヲ示シ」とは、相手方をして現に兇器を携帯していることを認識させることをいい、これを認識させる手段、方法については特に制限はないから、兇器を相手方に突きつけたりする等の積極的な行為を必要とするものではなく、現に携帯する兇器を視覚により相手方に認識させることをもつても足りるものというべく、また兇器を示して脅迫の罪を犯すとは、兇器を示すことそれ自体によつてなされ得るのみならず、他の行為と相まつてもなされ得るものと解するのを相当とする。従つて、たとえ銃口を下に向けてライフル銃を携えただけの状態であつても、その際の言動と相まつて、これを脅迫の手段として相手方に示す意思があり、その認識においたと認められる以上、兇器を示して脅迫したものというに妨げはないものと考えられる。しかして、原審における証人大村善朝は、被告人が本件ライフル銃を携えていた様子につき「銃を肩へかけていただか、手に持つていただかというのは記憶あります。」(九冊二、七九七丁)と供述するだけであるが、引き続き、被告人から「俺のいうことを聞け、いうことを聞けば、生命には危害を加えない。いうことを聞かないと俺はダイナマイト持つているから投げ込むぞ。」(九冊二、七九七丁)等の文言を聞き、「びつくりしました。がたがたしてきました。」(九冊二、七九八丁)と供述しているのであつて、これらの状況からみても、被告人がたとえライフル銃の銃口を下に向けて携えていた状態であつたとしても、被告人は大村を強引に自己の意に従わせるために強い口調の前記脅迫文言を用いるとともに、ライフル銃を脅迫の手段として大村に認識させるため携えてこれを示し、大村もこれを認識したと認めるのを相当とする。このことは関係証拠により明らかである大村善朝経営の旅館光山荘がふじみ屋旅館の北側に隣接していることから、被告人としては大村が警察と協力するのを強く牽制しようとして脅迫したものとみられることからしても、被告人は本件ライフル銃を携えこれを示す意思を有していたものと考えられる。これを要するに、原判決の挙げる関係証拠によれば、原判示第四の一の事実を優に認めることができ、その他記録を調査しても以上認定を左右するに足りる証拠は見当らないし、また原判決の「ライフル銃を携えたまま示し」たとする判示においても所論のような理由不備はない。論旨はいずれも排斥せざるを得ない。
八、同第四章第二節二の事実誤認の主張について
所論は、原判示第四の二において味岡和子ら三名に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の罪を認定した原判決には著しい事実の誤認があると主張し、その理由として、被告人の本件ライフル銃の発射は味岡和子ら三名に加害を告知する手段としてなされたものではないというのであるが、記録を精査し、原判決掲記の関係証拠を総合すれば、原判示第四の二の事実を認めるに十分である。即ち、被告人は味岡和子ら三名が逃げ出した直後、「逃げるか。」と怒号し、同女らの背後からライフル銃実包二発位を発射したのであつて、被告人が同女らを脅迫する目的で威嚇射撃をしたことは明らかである。その他記録を検討しても右認定をくつがえすに足りる証拠はない。原判示第四の二の事実認定には事実誤認はない。論旨は排斥を免れない。
九、同第四章第二節三の事実誤認の主張について
所論は、原判示第四の三の住居侵入罪を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実の誤認が存すると主張する。記録を精査するに、原判決の掲げる関係証拠によれば、原判示第四の三の事実を明らかに認めることができる。所論は、本件住居侵入は、その目的においても態様においても違法性を欠くというのであるが、しかし所論のとおり被告人の侵入目的が警察官の配備状況を探ることにあつたとしても、これをもつて到底正当の理由があるとして違法性が阻却されるものとはいい難いところであり、その他原判決が住居侵入罪が成立するとして説示する部分(原判決六一頁)は、脅迫の実行行為がなされなかつたとの部分を除き、おおむね正当として肯認することができる。即ち、ライフル銃を携帯したまま、全く関係のない建物にその居住者の意思に反すると認められる状況の下において、その承諾を得ることもなく立ち入る行為が住居侵入に該当することは明らかであり、所論の指摘する本件寸又山荘が旅館であることや被告人の言葉づかいが命令的でも威圧的でもなかつた点を考慮してみても、右住居侵入罪の成立にはなんらの影響を及ぼすものではない。その外記録を検討しても右認定を左右し得る証拠はない。原判示第四の三の事実認定には事実誤認はない。論旨はこれを排斥する。
一〇、同第四章第二節四の事実誤認の主張について
所論は、原判示第四の四の住居侵入罪を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実誤認があると主張する。記録を精査するに、原判決の挙げる関係証拠によれば、原判示第四の四の事実を明らかに認定することができる。所論は、(一)、本件住居侵入は、その目的において警察官の配置状況を探ることにあつたから違法性はない、(二)、原判決の認定するごとく被告人は玄関扉を足で強引に押し開けたことはなく、その態様においても違法と目されるべきものはないというのである。しかし、警察官の配置状況を探る目的を有していたからといって、住居侵入につき正当の理由があるものとは到底考えられないから、所論(一)は理由がない。所論(二)について検討する。原審における証人味岡たかは、寸又峡温泉ホテルの玄関の扉は当時の状況からして施錠がなされておつたと思われること、その施錠は力のある人が押し開けなければ排除できないものであるのに被告人が玄関内に入つてきた旨供述しており(一〇冊三、〇二四丁)、原審における証人望月和幸は、寸又峡温泉ホテルの玄関の扉は鍵がかかつており、被告人は手で押したのでは開かないため足で玄関扉を強引に押し開け同ホテルに入つた旨供述している(七冊二、一〇八丁、八冊二、四〇六丁)ところであつて、右両証人の各供述はいずれも原判決が関係証拠として挙げており、(原判決四一頁、同三六頁)、これによつても被告人が寸又峡温泉ホテルの玄関の扉を足で強引に押し開けて同ホテル内に侵入したことを認めるに十分であり、その侵入の態様が違法であることは明らかである。所論の寸又峡温泉ホテルが通常の民家ではなく不特定多数人が出入可能なホテルであるとの点を考慮してみても、右住居侵入罪の成立にはいささかの消長を及ぼすものではない。所論(二)も理由がない。その他記録を検討しても以上認定を動かし得る証拠はない。原判示第四の四の事実認定には事実誤認はない。論旨は排斥するの外はない。
一一、同第四章第二節五の事実誤認の主張について
所論は、原判示第四の五の住居侵入罪を認定した原判決は、被告人が大間寮内部の食堂入口内まで侵入したとの原審における証人望月ひなの供述を採用したことによるものであるが、同証人の右供述は信用性がないから、原審の判断は採証法則を誤り、事実誤認に陥つたもので明らかに判決に影響を及ぼすべきものであると主張する。しかし記録を精査するに、原審における証人望月ひなの供述内容およびこれにより認められる供述態度からみて、被告人が大間寮内部の食堂入口内まで侵入したとの同証人の供述は十分に信用性を有するものと考えられ、原審が同証人の供述を証拠として採用したのは当然であり、右供述を含む原判決掲記の関係証拠によれば、原判示第四の五の事実を明らかに認定できるものというべく、右認定に反する原審及び当審における被告人の各供述は右証人望月ひなの供述に比照して採用できず、その他これをくつがえし得る証拠は見当らない。原判示第四の五の事実認定につき、所論のような採証法則違反の点は発見できないし、事実誤認があるものとは考えられない。論旨は理由がないといわざるを得ない。
一二、同第四章第三節一ないし三ならびに四のうちの非現住建造物放火罪に関する事実誤認ないし判決に理由を附せず又は理由にくいちがいがあるとの主張について
所論は、原判示第五の非現住建造物放火罪を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実誤認があり、かつ判決に理由を附せず又は理由にくいちがいがあり、破棄を免れないと主張する。
そこでまず事実誤認の主張について検討するに、記録を精査し、原判決の挙示する関係証拠を総合すれば、原判示第五の事実を十分に認めることができる。所論は要するに、(一)、本件小屋は建造物に当らない、(二)、本件小屋に火をつけるについては、その所有者望月和幸の承諾を得ている、(三)、柴田南海男は監禁されておらず、抗拒不能の状態にはなかつた、と主張し、これらの点についての原判決の事実認定には事実誤認があるというのである。所論(一)についてまず検討するに、この点につき原判決が本件小屋が刑法一〇九条にいう建造物に該当するとして説示する部分(原判決七三頁)は、これを相当として認めることができるのであつて、所論に鑑み更に記録を調査してみても、本件小屋が建造物に当るとする原判決の認定に誤りがあるとは考えられず、これに反する所論は採用できない。つぎに所論(二)について検討するに、この点についても原判決が望月和幸の承諾がなかつた旨説示する部分(原判決七三頁)は、これを相当として認めることができるのであつて、所論に徴し更に記録を調査してみても、望月和幸が明示の承諾はもとより黙示の承諾を与えたとみるべきものを見出すことはできない。原判決には所論(二)の事実誤認はなく、所論は採用し得ない。更に所論(三)について検討するに、柴田南海男に対しても監禁罪が成立することは前記したところにより明らかであり、原審における証人柴田南海男の供述(一四冊四、二一二丁)によれば、同人はふじみ屋旅館に監禁されていたところ、被告人から本件小屋への放火を命令されたが、これに抵抗できない状況であり、やむなく本件小屋に放火したことが認められるのであつて、以上に照らし、原判決が監禁されて抗拒不能の状態に右柴田があつた旨認定したことに事実誤認はないものというべく、所論のように柴田が右命令を自由に拒否できる状態にあつたとは考えられない。原判決には所論(三)の事実誤認はなく、所論は採用するによしがない。
所論はついで、柴田南海男はその自由意思でふじみ屋旅館から外部に出歩くことができた筈であるのに、これを監禁されて抗拒不能であつたと認定した原判決は、理由を附せず又は理由にくいちがいがある違法をおかしたと主張するが、前記したとおり右前提事実は認めるによしないところであるから、右所論は採用の限りでない。
以上の次第であつて、原審記録中のその余の証拠及び当審において取り調べた証拠を検討しても、原判決には各所論のような事実誤認は認められないし、あるいは理由を附せず又は理由にくいちがいがあるものとは考えられない。論旨はいずれも理由がない。
一三、弁護人らのその余の控訴趣意は量刑不当を主張するものであるが、本件についての当裁判所の量刑上の判断は、後記のとおり破棄自判の際当然に示すことになるので、ここでは所論に対する判断を省略することとする。
第二、検察官の控訴趣意について
以下所論の順序に従つて、当裁判所の判断を示すこととする。
一、同第一の訴訟手続の法令違反の主張について
所論は、本件昭和四三年四月一二日付起訴状記載の公訴事実中、第七の被告人の城所賢一郎に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の事実につき、原審は、公判廷において証言を拒否した証人城所賢一郎の検察官に対する供述調書につき、刑訴法三二一条一項二号前段の書面としての証拠能力を有せず、同調書は同号後段の書面として扱うべきであると判断し、その特信性を認めるに足りる証拠がないとして、検察官の証拠調請求を却下し、その異議申立をも棄却し、しかも結局犯罪の証明がないとして、無罪の言渡しをしたのであるが、しかし右供述調書が同号前段の書面としての証拠能力を有することは明らかであるから、原審の判断は同条項の解釈適用を誤つたものであり、かりに同号後段の書面としてもその特信性を認めることができるからこれを採用しなかつたことは採証の経験法則に違背するものであり、いずれにしても判決に影響を及ぼすことが明らかであると主張するのである。
原審記録を精査するに、前記城所賢一郎に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の事実につき、原審はその被害状況に関する証人として城所賢一郎を取調べる旨の決定をなし、同証人に対し四回にわたる召喚状を発したがいずれも出頭せず、勾引状を執行されてようやく昭和四六年七月二二日の第四二回公判期日に証人として出廷したものの、同人は事件当日取材のため寸又峡温泉に赴いたことまでは証言しながらも、寸又峡に着いてから、「どこに行つたか。」との旨の尋問に対しては、「放送記者ないしカメラマンには、証言拒否権があり、取材記者として現場において体験した事柄について放送以外の場所で明らかにすることは記者としての良心に反する。」旨供述してその後の供述を全く拒否し、原審から証言拒否権はないので証言を続けるよう促がされたにもかかわらず、証言を拒否する態度を変えなかつたものであつて、結局同証人は寸又峡温泉に赴いたことだけを供述するにとどまり、前記公訴事実の内容に関してはその供述を拒否していることが認められ、また同証人は同公判廷において本件供述調書の署名が同証人によつてなされたことを認め、かつその指印が同証人によつてなされたものであると思う旨述べていることは明らかである。しかして、原審は、城所賢一郎が検察官主張のような脅迫の被害を受けたものとすれば、その被害状況を証言しても記者としての良心に反することはないと思われるのに、「現場での体験を証言することは記者としての良心に反する。」として証言を拒否しているところからみると、脅迫の被害を受けていないことを暗黙のうちにほのめかしているものとも考えられるとしたうえ、右検察官調書を刑訴法三二一条一項二号後段の書面であると判断し、その特信性を認めるに足りる証拠がないとしてこれを却下したことが認められる。しかし、証人城所賢一郎の原審公判廷における供述は、記者としての取材活動の自由ないし報道の自由という観点から証言を拒絶する理由を述べているにすぎず、脅迫の被害事実の存否については全く供述していないのであつて、要するに同証人は報道記者の立場に立つて証言を拒絶したのみであつて、これを目して同人が脅迫の被害を受けていないことを暗黙のうちにほのめかしているとは到底考えられないところであり、この点に関する原審の判断は独自の見解というの外はない。従つて城所賢一郎が証人として原審において喚問を受けながら、前記のように証言を拒絶したのであるから、かかる場合も刑訴法三二一条一項二号前段により、同人の検察官の面前における本件供述調書を証拠とすることに妨げないものというべきである(最高裁判所昭和二七年四月九日大法廷判決・刑集六巻四号五八四頁、同昭和二八年四月一六日第一小法廷判決・刑集七巻四号八六五頁、同昭和二九年七月二九日第一小法廷判決・刑集八巻七号一二一七頁各参照)。(なお、城所賢一郎がその後なお当審に至つても証言拒絶の意思を翻したことを窺い得べき資料はない。)。以上のとおり、城所賢一郎の検察官に対する供述調書は刑訴法三二一条一項二号前段の書面として証拠能力を有することは明らかであり、前記公訴事実の立証に欠くことのできない証拠であるのに、原審がこれに対する検察官からの証拠調の請求を却下し、更に異議申立を棄却したのは同条項の解釈適用を誤り、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。
しかして、当審において取調べた城所賢一郎の検察官に対する供述調書二通、当裁判所の検証調書、原審第五三回公判廷における証人望月雅彦の供述(一九冊五、九一七丁)ならびに原判決が証拠の標目欄において第四の関係事実につき関係証拠として挙げている各証拠を総合すれば、前記被告人の城所賢一郎に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の事実を優に認めることができる。(弁護人らは城所賢一郎の検察官に対する各供述調書は信用性がない旨を主張するけれでも、しかし右各供述調書はいずれも検察官に対し城所賢一郎がその勤務先である東京都港区赤坂五丁目三番六号の東京放送会社内において被害者として自ら当時の被害状況を詳述したものであつて、供述内容も自然で首肯せしめるものがあり、信用性に欠けるところはないものというべきである。所論のとおり、右供述調書のうちの一通に添付されている見取図が当裁判所の検証調書の見取図とくいちがつている点があるとしても、これをもつて直ちに右各供述調書全部の信用性に影響を及ぼすものとは考えられず、また所論指摘の当裁判所に出頭できない旨の城所賢一郎の上申書をもつても右信用性にいささかの消長を及ぼすものではない。)。以上認定に反する原審及び当審における被告人の各供述は採用し難く、記録中のその余の証拠を検討しても叙上認定をくつがえし得るものは見当らない。論旨は理由がある。
二、同第二の事実誤認の主張について
所論は、本件昭和四三年三月一七日付起訴状記載の大森靖司に対する確定的殺意に基く殺人の公訴事実につき、原審は未必的殺意に基く殺人の事実を認定した。しかし、被告人が確定的殺意をもつて大森靖司を射殺したことは、(一)本件犯行に使用したライフル銃の性状、(二)被害者大森を至近距離から狙撃していること、(三)四発の銃弾を大森の上半身に命中させ、そのうち三発は身体の枢要部に命中していること、(四)しかもうち二発は背後から狙撃していること、以上の諸点に照らし明らかであつて、これを未必的殺意によるものと認定した原判決には重大な事実誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであると主張する。
そこで所論の当否について検討するに、確定的故意とは確定的な結果を認識しこれを認容する場合であり、未必的故意とは結果発生の可能性を認識し認容する場合であると解されているところ、その限界は極めて微妙なものがあり、所論の諸点について検討することはもとよりのこと、更に犯行の経緯、ライフル銃を使用するに至つた事情、銃弾が身体の中枢部を貫通するに至つた理由、被告人と被害者との関係等の諸般の具体的状況も総合してこれを決しなければならないというべきである。ところで、被告人が本件犯行に使用したライフル銃は、野中篤雄作成の鑑定書によれば、口径〇・三インチ、全長九六センチメートル、銃身長四九・五センチメートルの豊和ライフルモデル三〇〇銃であつて、三〇発入りの大型弾倉が装着され、速射の場合の発射所要時間は一発一秒以内であることが認められ、銃器のうちでも危険性の高く殺傷力の強いライフル銃であることは所論のとおりである。しかし、関係証拠によれば、被告人が右ライフル銃を準備し本件犯行現場に携行して来たのは曾我幸夫を殺害するためであつて、決して大森靖司を殺害するためにあらかじめ準備したものではなく、被告人は、曾我幸夫をライフル銃をもつて殺害した後に、とつさに、大森靖司の態度に憤激して手許にあつた右ライフル銃を大森に向けて発射し使用したものであることが認められるのであつて、これによつてみれば本件ライフル銃の性状をもつて直ちに確定的殺意を立証するものとはなし難い。また、関係証拠によれば、被告人が大森靖司に銃口を向け、約一メートル位の至近距離から同人に対し実弾四発位を発射して、全弾を命中させ、そのうち三発は同人の左側胸部、左背胸部、左背腰部に盲貫銃創を負わせたことは、所論のとおり認められるところであるが、他方において、被告人が大森靖司を殺害するためにことさら至近距離に近付いてライフル銃を発射したのではなく、被告人は、曾我幸夫に対しライフル銃を発射したのに引き続き、同じソフアーに坐つていて至近距離にある大森靖司に発射したものであること、被告人の発射した四発の実弾のうち三発が大森の身体の中枢部に当り、しかもそのうち一発が左背胸部に、一発は左背腰部より射入されたものであるとはいえ、射創の方向は銃身の角度と被害者の身体の角度との微妙な相関関係によるものであるうえに、前記ライフル銃の発射機能からして四発の発射は僅か数秒間の出来事であり、その間被告人と大森との位置関係も変化していることが窺われること、興奮状態にある被告人の瞬間的な行為であること、被告人と大森とは従前交渉のなかつたこと等の事実も認められ、以上の諸点を総合してみると、被告人は、大森殺害の可能性は認識し、認容していたであろうが、検察官所論のように確定的な殺意をもつて大森を狙撃したとみるのは穏当を欠くものと考えられる。要するに、被告人の大森に対する殺人の所為は、原判示のとおり未必的故意によるものであるとみるのが相当であり、その他記録全体を調査しても、原審の右事実認定に誤りがあるものとは考えられないから、この点に関する原判決には事実誤認はない。論旨は理由がない。
三、同第三の事実誤認の主張について
所論は、本件昭和四三年四月一二日付起訴状記載の公訴事実第四のうち、被告人の波多野勲に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の事実につき、原審は、被告人が波多野勲に対し同法一条所定の兇器を示して脅迫したとの点はこれを認めるに足る証拠がない、即ち証人波多野勲は「被告人は自分の方に銃口を向けたと思う。」旨証言するが、証人望月和幸は「被告人は銃口を下に向けていた。」旨証言し、被告人も波多野に対し銃口を向けたことを強く否認しているので、波多野は被告人がライフル銃を手に携えて侵入してきただけで畏怖し、畏怖の余り銃口を自分の方に向けられたように錯覚したのではないかとの疑いが強く、他に被告人がライフル銃を示すような積極的行為をしたと認めるに足りる証拠はないし、被告人が脅迫の手段としてライフル銃を示す意思のあつたことを窺わしめる証拠もないとし、結局犯罪の証明がないことに帰すると説示している。しかし、原審記録を検討すれば証人望月和幸の証言は「銃口は下に向けていたと思います。」と多少曖昧であるのに対し、証人波多野勲は、銃口を向けられたと断定的に供述しているのであつて、同人が畏怖の余り銃口を自己の方に向けられたように錯覚した疑いは全くないものというべく、かりに右が理由がないとしても、検察官指摘の各証拠により認められる本件犯行直前における被告人の一連の言動からみて、被告人は波多野勲を威嚇して自己の命令に従わせるため、脅迫の手段として同人の生命身体に危害を加うべき意図のあることを示すため本件ライフル銃を携帯していたものであり、波多野がこれに畏怖したものとみるのが相当であり、被告人の波多野勲に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の罪が成立することは明らかである。従つて、原判決は証拠の価値判断を誤り、その結果重大な事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れないと主張する。
よつて、検討するに、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条にいう「兇器ヲ示シ」とは、相手方をして現に兇器を携帯していることを認識させる一切の行為をさし、その認識させる手段、方法については特に制限はないから、兇器を突きつけるまでの積極的行為は必要でなく、視覚にうつたえる方法ももとより差支えないものと考えられることは前記したとおりである。
そこでまず原審における証人波多野勲の供述を速記録により検討することとするが、検察官および弁護人ともに所論を述べるに当り同証人の供述をそのまま具体的に記載しており、微妙な点もあるので、同証人の供述の要旨を摘記することを避けて、問答体ないし答のまま掲記することとする。
(検察官の主尋問における問答。一〇冊二、九六五丁表ないし二、九六六丁裏、二、九七〇丁表、裏。)
検察官「どんな銃ですか。」
証人「ライフル銃だつたですね。」
検察官「長さはどのくらいありましたか。」
証人「約一メートルくらいありました。肩にかけ、手で持つて私は突きつけられました。銃の口を向けられて女衆を出せということで入つてきましたから、それでびつくりしました。」
検察官「その点間違いありませんか。突きつける。」
証人「突きつけるというか、向けて同時に入つてきましたから。」
検察官「銃口はあなたのからだの方を向いているわけですね。」
証人「そうです。そういうふうな記憶あります。それで私びつくりしましたんですけれども。」
中略
検察官「そのことばを喋つたときは、銃はどういうかつこうをしていましたか。どつち向いていたですか。」
証人「銃を向けると同時に従業員を出せつていつたと思います。」
検察官「銃口とあなたのからだまでの距離は何メートルぐらいだつた。」
証人「約一メートルぐらい離れていました。ですから私と金嬉老との差は、約二メートルから三メートルぐらいあったと思います。」
中略
検察官「銃口を向けられたとき。」
証人「そのときにびつくりしまして、こわいと思いました。」
検察官「撃たれるからですか。」
証人「やつぱりそこに不安があります。銃口向けられましたから。」
(被告人の反対尋問における問答。一〇冊二、九八六丁裏、二、九八八丁表、裏。)
被告人「おたくの方に銃口を向けてですか。」
証人「と思い浮べますけれども。」
被告人「それは間違いないですか。」
証人「私はそういうふうに記憶にありますので。」
中略
被告人「波多野さんのところへ私が入つていつたとき、わたしは銃口は下へ向けていたんじやないですか。右手に下げて真直ぐ下へ向けて、それで途中左手に持ち直しておりませんか。」
証人「細かい動作をわたくしは見ていないですわ。だけど構えたというか、こういうふうなかつこうで持つていたということ、私記憶にあるんですよ。」
(弁護人の反対尋問における問答。一〇冊二、九八九丁裏ないし、二、九九二丁裏、二、九九七丁裏。)
弁護人後藤の問に対し
証人「……とにかく、そのときの状態は、そんなふうな状態で、どう持つていますか知りませんけれども、銃口は私の方に向いていて、どんなかつこうで向いていたか知りませんけれども、向いていた感じを受けまして、今も頭にあります。」
主任弁護人の問に対し
証人「私確かに突きつけられたというあれではないと思います。とにかくかかえて入つてきたということは頭にあります。突きつけられたか、られんか。そういうふうに私の方、向いていましたんで、私はそういう感じを受けたわけです。」
主任弁護人「突きつけられたという意識を持つたわけではない。」
証人「そういうことではございません。とにかく私の方を向いていたということで突きつけられたようにみえたわけです。」
以上のように供述しているのであつて、波多野勲が被告人から本件ライフル銃の銃口を突きつけられたか否かについては俄かに決し難いものがあるにしても、銃口が向けられたことについては一貫して変りなく供述しているところからみて、被告人が波多野勲に対し本件ライフル銃の銃口を向けたことは十分に認められる。もつともこの点に関し、原審における証人望月和幸は、「面と向けてはいないと思います。銃口は下に向けていたと思います。」(七冊二、一〇八頁)と供述しているのであるが、前記波多野勲の証言によれば、望月和幸は当時被告人の背後にいたことが認められることからして、被告人が波多野勲にライフル銃を向けたことを十分認識できなかつたのではないかとの疑いもあり、右供述をもつて前記認定を動かすに足りる証拠とはなし難く、また以上認定に反する原審における被告人の供述は採用できない。なお、原審における証人波多野勲の供述によれば、同人は被告人から本件ライフル銃の銃口を向けられて畏怖したことは認められるものの、その際の状況や被告人の服装については詳細に述べていること、原審および当審における関係各検証調書、証人波多野勲に対する当裁判所の尋問調書によれば、波多野勲が被告人と応待した場所は玄関の土間であり、しかも至近距離にあつたこと等を総合してみると、原判示のように波多野勲において畏怖の余り銃口を自分の方に向けられたように錯覚したものとは到底考えられない。しかして、被告人が波多野勲に対しライフル銃の銃口を向けたことが「兇器ヲ示ス」ことに当ることは明らかであり、このライフル銃を示すことが脅迫の手段に該当することはいうまでもない。その際の被告人の波多野勲に対する言葉づかいが乱暴ではなく命令的ではなかつたとしても右脅迫の成否にはいささかも影響を及ぼすものではなく、その他記録を調査しても、叙上認定を動かし得る証拠は見当らない。以上のとおり、被告人の波多野勲に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の罪は成立するものというべきであるのに、原審は証拠の価値判断を誤り、その結果牽連犯を構成する一部の事実を誤認したものであるが、その事実誤認が重大なものであることはいうまでもなく、判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
四、同第四の事実誤認の主張について
所論は、本件昭和四三年四月一二日付起訴状記載の公訴事実第五のうち、被告人の味岡たかに対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の事実につき、原審は、被告人が味岡たかに対しライフル銃を示して脅迫したとの点はこれを認めるに足る証拠がない、即ち被告人の味岡たかに対する発言内容のみでは脅迫に該当しないし、被告人は寸又峡温泉ホテルに侵入した際は、ライフル銃を肩にかけたままであつて、これを示すような積極的行為をしたと認めるに足りる証拠はないし、被告人が脅迫の手段としてライフル銃を示す意思のあつたことを窺わしめる証拠もないから、兇器を示して脅迫したとの実行行為を認めるに足りる証拠がないものというべく、結局犯罪の証明がないことに帰すると説示している。しかし、被告人がライフル銃を味岡たかに向けた事実が認められないとしても、検察官指摘の各証拠により認められる本件犯行直前における被告人の一連の言動からみても、被告人は味岡たかをして自己の命令に従わせるため本件ライフル銃を携帯したまま同女に従業員を連れて来て並べろと命じたものであつて、被告人に脅迫の手段としてライフル銃を示す意思があつたと認めるのが相当であり、被告人の味岡たかに対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の罪が成立することは明らかである。従つて、原判決は証拠の価値判断を誤り、その結果重大な事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、と以上のように主張する。
ところで、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条にいう兇器を示すとの意義内容については、既に説示したとおり、兇器を携帯していることを相手方に認識させるための積極的な行為までは要しないが、これを相手方の認識におくことは必要であるというべく、また兇器を示して脅迫の罪を犯すとは、兇器を示すという行為それ自体によつてこれを犯すことまでは要しないが、他の言動と相まつて脅迫行為と評価され得るものであることを必要とする趣旨であることも前叙したとおりである。
そこで検討するに、原判示のとおり、被告人がふじみ屋旅館周辺の警察官配置状況を探るため望月和幸を伴い、ライフル銃を肩にかけたまま寸又峡温泉ホテル内に侵入し、その玄関内土間において、味岡たかに対し「従業員はどうした、連れてきて並べろ。」といつたことは、原判決掲記の関係証拠により認められるのであるが、原審における証人味岡たかの供述(一〇冊三、〇二四丁)によれば、味岡たかは被告人が望月和幸と玄関内に入つてきた際、望月に対し「ごくろうさま。」と声をかけ、その後に被告人が味岡に対し前記のような言葉を発したのであるが、その言葉づかいは強く命令するといつた調子ではなく普通のものであつたこと、これに対し味岡は内心は逃げるつもりであるが、「はい。」と返事をして足早にその場を去り、逃げるに至つたものであつて、被告人と味岡との応待はそれ以上を出でず、その間被告人は終始ライフル銃を肩にかけたままであつたことが認められ、以上を総合して考えると、所論の指摘する被告人の本件前後における一連の行動を参酌しても、被告人が本件ライフル銃を肩にかけていたことをもつて、味岡に対する脅迫の手段として右ライフル銃を同女の認識においたとも、その意思を有していたとも認め難く、また被告人の同女に対する発言内容をもつて害悪の告知とするには不十分であるものというべく、以上要するに脅迫の実行行為と評価し得るものとは認められないのであつて、その他記録を調査し、当審における事実取調の結果によるもこれをくつがえすことはできない。従つて、被告人の味岡たかに対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条の兇器を示して脅迫したとの実行行為を認めるに足りる証拠がないとして無罪の説示をした原審の判断は相当である。この点に関する原判決には証拠の価値判断を誤つたことも事実誤認もない。論旨は採用できない。
五、同第五の法律解釈の誤りないし事実誤認の主張について
所論は、本件昭和四三年四月一二日付起訴状記載の第九ないし第一二の公訴事実のうち、爆発物取締罰則一条および三条違反の罪につき、原判決は同条項にいう「治安ヲ妨ケル目的」とは公共の安全と秩序を害する意図を意味するものであり、未必的認識あるいは確定的認識をもつているだけでは足りないものと解されるところ、被告人には証拠上かかる意図は認められず、被告人は警察官の逮捕行為を牽制する目的を有していたにすぎないから、右条項は適用できないとして、火薬類取締法をもつて適用処断した。しかしながら、原審の右法律解釈は誤りであり、治安を妨げることにつき確定的認識または積極的認識があれば足りるものであるところ、本件各証拠に照らし、また警察法二条一項の趣旨によれば、十分これが認められ、かりにそうでないとしても治安を妨げる意図を有していたことが明らかに認められるから、原判決は、法律の解釈を誤つたものであるか重大な事実を誤認したものであり、いずれにしてもその誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は当然破棄されるべきものであると主張する。
そこで、所論の当否について検討する。本件爆発物取締罰則一条または三条の罪は危険犯であると同時に「治安ヲ妨ケ又ハ人ノ身体財産ヲ害セントスル目的」を構成要件とする目的犯である。しかしてこの目的の内容たる事実認識の程度については、同条項が右のような目的を重視しこれを主観的要素として規定していること、特に重い法定刑をもつて臨んでいること等に徴し、単なる未必的認識だけでは足りず、確定的な認識を必要とするが、それ以上に積極的な意図までは必要としないものと解するのが相当である。しかして、「治安ヲ妨ケ」るとは、公共の安全と秩序を害することをさすものであるところ、警察官の逮捕行為を牽制する目的で爆発物を使用または所持した場合、公共の安全と秩序を害することになるかどうかは、一概には言えないところであつて、要はその場合の具体的状況を検討し慎重に決定すべきものである。
原審記録を仔細に調査し、当審における事実取調の結果をも斟酌して検討するに、後記挙示の関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 被告人がたてこもつたふじみ屋旅館のある大間部落は、周辺を高い山にかこまれた狭い盆地に位置し、部落の面積はおよそ六・九ヘクタール、温泉旅館一六軒、商店、一般住宅等三七軒、人口約二、〇〇〇人の通称寸又峡温泉と呼ばれている山の温泉郷で、ふじみ屋旅館は、部落中央を縦断している町道大間部落内線と林道大間線バス道路との間にはさまれた枢要な位置にあり、同旅館周辺には旅館、住宅が近接して存在すること、
(二) 被告人は、右ふじみ屋旅館において多数のダイナマイトおよび雷管を所持していたが、そのダイナマイトは物を破壊するための爆薬である日本化薬株式会社製の「二号榎」で一本一〇〇グラム位のものであり、雷管は工業用六号のものであるところ、被告人は爆発力を増大させるためわざわざ二本ないし四本をビニールテープで巻いて一組にしたり、いつでも爆発できるように導火線付雷管を装着したりしており、しかも右旅館桐の間において右ダイナマイト多数を火の熾つたコンロ二個のそばに山積みにし、いつでも導火線に着火して投てき爆発できる状態にしていたこと
(三) 被告人は原判示認定のとおり一三名の者を右ふじみ屋旅館内に監禁していたこと
(四) 被告人は昭和四三年二月二一日午後から午後一〇時ころまでの間に、警察官の逮捕行為を牽制する目的で、三回にわたつて四個のダイナマイトをふじみ屋旅館前庭に投てきして爆発させたのであるが、そのため大きな爆発音がして旅館の建物が震動したり、地面の小石が右旅館の二階の窓に飛散したりする有様であつたこと
(五) 被告人が爆発物であるダイナマイト多数を所持し、ふじみ屋旅館に多数の者を監禁して長時間立てこもり、その間ダイナマイト数個を爆発使用したため、寸又峡温泉の宿泊客および同旅館周辺の部落住民が避難し、同旅館に監禁されている者は勿論のこと住民らを不安と恐怖に陥れ、交通も遮断されるなど、部落の平穏も害され、また警察も監禁されている被害者を救出し被告人を逮捕することがなかなか困難な状態にあつたこと
以上の事実が認められる。しかして、警察官がふじみ屋旅館に監禁されている多数の被害者を救出しようとし、その犯人である被告人の逮捕をはかることが警察に課せられた責務であることは警察法一条、二条一項の規定に徴しても明らかであり、そのことが同時に大間部落の平穏をとり戻すことにもなるわけである。従つて、被告人の本件ダイナマイトの使用あるいは所持が警察官の逮捕行為を牽制する目的であつたとしても、被告人がダイナマイト等を所持または使用し、ふじみ屋旅館に多数の者を監禁している状況の下において、右被害者を救出し、被告人を逮捕するため同旅館に接近する警察官に向つて、前記のようにダイナマイトを投てき爆発させて積極的に警察官の行動を阻止、妨害することは、公共の安全と秩序を害することに外ならず、被告人はこのことにつき確定的認識を有していたものというべきである。原判決は、被告人が一部監禁された者を釈放したこと、交通遮断したことについて被告人が警察に抗議したこと等をとらえて被告人に治安を妨げる目的がなかつたと説示しているが、叙上認定に照らし採用できないものというの外なく、その他記録を精査し、弁護人のこの点に関する所論を検討しても、右認定をくつがえすに足りる資料を見出すことはできない。以上の次第で、被告人は「治安ヲ妨ケ」る目的で本件ダイナマイトを使用あるいは所持したものというべく、爆発物取締罰則一条および三条違反の罪が成立するのに、原審がこれを認めなかつたのは、同条項の解釈を誤つたか重大な事実を誤認したもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決はこの点においても破棄を免れない。論旨は理由がある。(なお、弁護人らは検察官の所論に対する答弁として、(一)爆発物取締罰則は、その成立の背景からみて現在法律としての効力を持ち得ず、違憲である。(二)同罰則は、(1) 同罰則一条、三条にいう治安を妨げる目的とは、犯罪の構成要件として極めて不明確であること、(2) 右各条に規定する刑罰は著しく重く、罪刑の均衡を失していること、(3) 同罰則六条は犯罪目的のないことの立証責任を被告人に負わせていることなどからみて、憲法三一条に違反すると主張する。
しかし、弁護人の所論(一)の点については、爆発物取締罰則は、明治一七年太政官布告三二号として制定されたものであるとはいえ、旧憲法下において旧憲法上の法律と同一の効力を認められ、現行憲法施行後の現在においてもなお法律としての効力を保有するものと解するのが相当である(最高裁判所昭和二四年四月六日大法廷判決・刑集三巻四号四五六頁、昭和三四年七月三日第二小法廷判決・刑集一三巻七号一〇七五頁、昭和四七年三月九日第一小法廷判決・刑集二六巻二号一五一頁各参照)から、所論は採用できない。所論(二)の(1) の点については、「治安ヲ妨ケ」るとは公共の安全と秩序を害することをいうものと解するのが相当であつて、これを不明確なものとはいえない(前掲最高裁判所昭和四七年三月九日第一小法廷判決参照)から論旨は前提を欠き、所論(二)の(2) の点については、同罰則が公共の安全と秩序という社会的法益と人の生命、身体、財産という個人的法益を保護するために、大きな破壊力を有する爆発物に関する一定の行為につき、各条項所定の刑を定めていることの当否は、立法政策上の問題であつて、憲法適否の問題ではない(前掲最高裁判所昭和四七年三月九日第一小法廷判決参照)ものというべく、所論(二)の(3) の点については、同罰則六条は本件については問題とされていないところであるから、論旨は前提を欠くものというべきである。論旨はいずれも理由がない。)。
六、同第六の量刑不当の主張について
本件についての当裁判所の量刑上の判断は、後記のとおり破棄自判の際当然に示すことになるので、ここでは所論に対する判断を省略することとする。
第三破棄自判
以上のとおり、被告人の波多野勲に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の罪、城所賢一郎に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の罪、各爆発物取締罰則違反の罪のそれぞれの成立を否定した原判決は誤りであり、判決に影響を及ぼすべきことは明らかである。そして、右波多野勲に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の罪と原判示第四の三の住居侵入の罪とは牽連犯として科刑上一罪の関係にあり、また、秦次男らに対する爆発物取締罰則違反の罪と原判示第六の同人らに対する暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の罪とは観念的競合として、ふじみ屋旅館におけるダイナマイト所持の爆発物取締罰則違反の罪も原判示第七の一の銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪および同第七の二の火薬類取締法違反の罪とは観念的競合としていずれも科刑上一罪の関係にあるところ、さらにこれらと原判示のその余の各罪とは刑法四五条前段の併合罪として全体が一個の刑により処断されるべきものであるから、原判決はその全部について破棄すべきものである。
よつて、刑訴法三九七条一項、三七九条、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、なお本件は当裁判所において直ちに判決することができる場合であるから同法四〇〇条但書により、更につぎのとおり自判する。
(罪となるべき事実)
原判示第三の事実に代えてつぎの第三の事実を、原判示第四の三の事実に代えてつぎの第四の三の事実を、原判示第六の事実に代えてつぎの第六の事実を、原判示第七の三の事実に代えてつぎの第七の三の事実を認定し、原判示第四の五の事実のつぎに左の第四の六の事実を追加するほかは原判示事実と同一である。
第三、被告人は、治安を妨げる目的をもつて、同日午後の陽のある間、前記ふじみ屋旅館新館二階桐の間において、導火線付雷管を装着したダイナマイト一個に点火し、同間南東側窓から同旅館前庭にこれを投てきして爆発させ、もつて爆発物を使用し
第四、三、同日午後三時二〇分ころ、同町千頭三三〇番地旅館南アルプス寸又観光開発株式会社寸又山荘(代表取締役塚本三一郎)の玄関扉を開け、右ライフル銃を携えて同旅館玄関内に不法に侵入し、右玄関内の土間において同旅館管理責任者波多野勲(当時二五年)に対し、ライフル銃を構え銃口を向けて、ライフル銃を示し、「従業員を出してくれ。」といつたところ、同人から「従業員を出す必要ないじやないか」といつて拒否されたので、更に「とにかく従業員を出せ」といつて、同人の生命、身体に対し害を加うべき気勢を示し以て同人を脅迫し
第四、六、同日午後三時三〇分ころ、同町千頭一、二一〇番地の二旅館求夢荘望月雅彦方付近において、その付近を通り掛つた株式会社東京放送カメラマン城所賢一郎(当時二五年)に対し、同人らがその朝ふじみ屋旅館で被告人から取材したことが昼のニユースに全く出なかつたとして憤慨し、「報道というのはいつも出鱈目ばかりいつている。一緒に来い。」といつたところ、同人からことわられたので、携行していたライフル銃を構え同人に対し銃口を向けて、ライフル銃を示し、「来ないか。」といつて同人の生命、身体に対し害を加うべき気勢を示し以て同人を脅迫し
第六、被告人は同日午後八時ころ前記ふじみ屋旅館新館桐の間南東側窓から、同新館前を通り掛つた産業経済新聞記者秦次男(当時三六年)、同社カメラマン間山公磨(当時三六年)、日本映画新社企画員阿部文明(当時二六年)、同社カメラマン浅野恒夫(当時三五年)の姿を認め、右間山から「アルプス荘はどこですか。」と尋ねられたが、そこがふじみ屋旅館と気付いて逃げ出した同人らを警察官と誤認し、同人らを威嚇する目的で、右窓から前記ライフル銃実包二発位を発射し、さらに治安を妨げる目的をもつて、導火線付雷管を装着したダイナマイト一個に前記コンロの炭火で点火し、右窓から同旅館前庭にこれを投てきし爆発させて、爆発物を使用すると共に、同人らの生命または身体に対し害を加うべき気勢を示し以て同人らを脅迫し、引続き同日午後一〇時ころまでの間に、右桐の間において、治安を妨げる目的をもつて、導火線付雷管を装着したダイナマイト二個に順次右コンロの炭火で点火し、右窓から同旅館前庭にこれを投てきし爆発させ、もつて爆発物を使用し
第七、三、治安を妨げるために使用する目的をもつて、同月二〇日午後一一時三〇分ころから同月二四日午後三時過ぎころまでの間、前記ふじみ屋旅館において、爆発物である二号榎印ダイナマイト(一本一〇〇グラム)六二本位、第二種導火線付工業用六号雷管三四本位、工業用雷管一二本を所持していたものである。
(証拠の標目)<省略>
(累犯前科)
被告人は
(一) 昭和二七年九月二九日静岡地方裁判所で、強盗、同予備、横領、銃砲刀剣類等所持取締令違反の罪により懲役八年に処せられ、昭和三八年三月一九日右刑の執行を受け終り
(二) 昭和三六年六月一三日静岡地方裁判所掛川支部で、恐喝、詐欺罪により懲役二年六月に処せられ、昭和四〇年九月一九日右刑の執行を受け終わつた(右(一)、(二)の刑は順次引き続き執行)
ものであつて、右事実は被告人の前科調書(昭和四三年三月一一日付、二一冊六、四五三丁)および府中刑務所総括指紋室作成の犯歴等照会に対する回答書(二一冊六、四六〇丁)によつて、これを認める。
(法令の適用)
被告人の判示第一の各所為は各刑法一九九条に、判示第二の各所為のうち、住居侵入の点は同法一三〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条により昭和四七年法律六一号による改正前のものに従う。同法三条一項二号も含め以下同じ)に、監禁の点は各刑法二二〇条一項に、判示第三の所為は爆発物取締罰則一条に、判示第四の一の所為は暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二二二条一項)、罰金等臨時措置法三条一項二号に、判示第四の二の所為は各暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二二二条一項)、罰金等臨時措置法三条一項二号に、判示第四の三の各所為のうち、住居侵入の点は刑法一三〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、ライフル銃を示して脅迫した点は暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二二二条一項)、罰金等臨時措置法三条一項二号に、判示第四の四および五の各所為は各刑法一三〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第四の六の所為は暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二二二条一項)、罰金等臨時措置法三条一項二号に、判示第五の所為は刑法一〇九条一項に、判示第六の各所為のうち、秦次男らに対しライフル銃を発射し、ダイナマイトを爆発させて脅迫した点は各暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二二二条一項)、罰金等臨時措置法三条一項二号に、ダイナマイトを爆発させ使用した点は包括して爆発物取締罰則一条に、判示第七の所為のうち、ライフル銃所持の点は銃砲刀剣類所持等取締法三条一項、三一条の二、一号に、実包所持の点は火薬類取締法二一条、五九条二号に、ダイナマイト等所持の点は爆発物取締罰則三条にそれぞれ該当するところ、判示第二の各監禁は一個の行為で一三個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い柴田南海男に対する監禁罪の刑で処断することとし、判示第四の二の各暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の点は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い石川泉子に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪の刑で処断することとし、判示第四の三の住居侵入と暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の点との間には手段結果の関係があるので刑法五四条一項後段、一〇条により一罪として犯情の重い暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪の刑で処断することとし、判示第六のライフル銃を発射し、ダイナマイトを爆発させての脅迫は一個の行為で四個の暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪と爆発物取締罰則違反の罪に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により結局判示第六の罪を一罪として重い爆発物取締罰則違反の罪の刑で処断することとし、判示第七の銃砲刀剣類所持等取締法違反と火薬類取締法違反および爆発物取締罰則違反とは一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い爆発物取締罰則違反の罪の刑で処断することとし、判示第一の曾我幸夫に対する殺人罪については所定刑中有期懲役刑を、大森靖司に対する殺人罪については所定刑中無期懲役刑を選択(後記量刑についての項参照)し、判示第二の住居侵入罪、判示第四の一、三および六の各暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪、判示第四の二の石川泉子に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪、判示第四の四および五の各住居侵入罪判示第七の爆発物取締罰則違反の罪については各所定刑中懲役刑を選択し、判示第三および第六の各爆発物取締罰則違反の罪についてはその態様に徴し各所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人には前記の前科があるので刑法五六条一項、五七条により右判示第一の大森靖司に対する殺人罪を除くその余の各罪につき(判示第一の曾我幸夫に対する殺人罪、判示第三および第六の各爆発物取締罰則違反の罪、判示第五の罪については同法一四条の制限内で)再犯の加重をなし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条二項本文により、判示第一の大森靖司に対する殺人罪の刑に従つて処断し、他の刑を科さないこととして、被告人を無期懲役に処し、原審および当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。
(一部無罪)
なお、本件公訴事実のうち、味岡たかに対する暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の事実は、前記説示のとおり犯罪の証明がないことに帰するが、右公訴事実は前記住居侵入の罪と牽連犯の関係にあるとして起訴されていることが明らかであるから、特に主文において無罪の言渡をしないこととする。
(量刑について)
本件量刑につき原審記録ならびに当審における事実取調の結果により検討する。
本件殺人行為は、原判示のとおり、被告人が内妻簗場房子と焼津で別れた時点において曾我幸夫殺害の決意を固め、金員の用意が出来ていないのに、同人に対しクラブ「みんくす」に金をとりにくるよう電話をかけて巧みに嘘をいい、同人を同店に誘い出し、乗用車にライフル銃、実包、ダイナマイト等を積み込んで同店に到着し、同店において右ライフル銃をもつて三メートル足らずの至近距離からソフアーに坐つていた曾我幸夫に向け実弾六発を、引き続き一メートル位の至近距離から同じくソフアーに坐つていた大森靖司に向け実弾四発を撃ち込み二人までもの若い生命を奪つたものであつて、その犯行の態様はまことに無残そのものであるといわなければならない。被告人がこのような犯行に及んだ動機としては、岡村孝の被告人に対する債権の有無については証拠上明らかでないが、仮りに債権があつたとしても、暴力団員曾我幸夫らの被告人に対する債権の取立請求の方法は社会観念上許容される範囲を逸脱し、執拗かつ横暴に続けられたことも起因となつたものと考えられる。しかし、人の生命は何ものにもまして尊重され保障されなければならないことはいうまでもないところであり、たとえ相手方に責められるべき点があつても、生命の貴重さには変りはない。曾我幸夫については他にとるべき手段がなかつたとは考えられないし、まして原判示のとおり全くかかわりあいのない大森靖司をも殺害して、二名の貴重な生命を失なわしめたものであつて、最早人生を享受し得ない同人らの痛恨は勿論のこと、残された同人らの妻子や母親の痛恨は大きく、被告人の極刑を望んでおり、遺族に対する慰藉の方法も何ら講ぜられていない状態であって、被告人の罪責はまことに大きいものがある。
しかも、被告人は右殺人行為を犯した後逃走し、原判示のとおり寸又峡温泉のふじみ屋旅館に深夜ライフル銃を携えて土足で侵入し、何ら罪とがのない宿泊客や同旅館の家族らを同旅館の二階の一室に集め、その隣室にバリケードを築かせたうえ、ライフル銃、多数の実弾ならびにいつでも着火して爆発させることができるような状態で多量のダイナマイトを所持し、これらの武器を背景に長時間にわたつて同旅館にたてこもり、その間一三名の者を監禁したり、ライフル銃を発射し、ダイナマイトを爆発させたりして相次いで本件犯行に出で、地元住民および一般社会にも多大の動揺と不安を与えたものである。被告人が寸又峡においてかかる犯行に出でたのは、原判示のように小泉刑事による侮辱発言と曾我幸夫がいかなる人間であつたかの二点を明らかにすることを要求する目的のためのものであるとしても、いかなる目的にせよ、目的のためには手段を選ばず、全く関係のないものを巻き添えにすることは断じて許されないところであり、被告人においてもしこれを当然のことであると考えるとしたならば、誤れること甚だしいものといわなければならない。
以上のような諸般の情状を総合検討し、被告人が原判示のとおり前科六犯を重ねていながらまたしても本件各犯行に及んだことをも考慮すると、被告人に極刑を科すべきであるという検察官の所論の趣旨も十分理解し得るところであるが、しかし更に考えてみると、被告人が幼少のころ父と死別し、朝鮮人として恵まれない環境のもとに、転々として居所を変えながら成育し、在日朝鮮人としての悩みを味わつてきたことは、被告人が種々の名前をもつて呼ばれてきたことからも窺い得るところ、前示犯行の動機や寸又峡における犯行に際しては犯行による犠牲者が出ないように考慮していること、二名の生命を奪つたことについては原審以来のしかかつている心の重みとして反省していること等、被告人の心情に掬すべき点も認められるのであつて、彼此勘案すると、今にわかに被告人の生命を抹殺し、その存在を地上から完全に否定してしまうにはなお躊躇を感ずるものがある。被告人に対しては無期懲役を科するのを相当とする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高橋幹男 裁判官 大澤博 裁判官 千葉裕)